ミャンマーからの便り〜その2


心と心を繋ぐ架け橋活動(The Bridge between the Hearts)}報告書

                       5月25日


25日日曜日、早朝 6時に皆が集まり物資を車に積み07:00に出発しました。

今回隊員と協力関係者は社会奉仕活動として休みを利用し物資届け活動に参加しました。

ヤンゴン郊外を出る時にxxがあり、多くの車が並んでいたため1時間ぐらいかかっていました。

先週活動をしていたDedaYe市 には13:00ぐらいに着きました。

今回途中で車のタイヤがパンクしていたため30分間ぐらい経ってしまいました。Dedaye市に昼食と車の修理をし、目的地PYAPON市 には15:30に着きました。

しかし、Pyapon市は被災の時に2万人ぐらいの死者を出したところであり、102人ぐらい居なくなったPyaponから30分間かかるMowbe村までは泥の道であるため車で着くことが難しく102人ぐらい死者が出たMowBeに行くことを諦めることになりました。

帰りの時間を考えるとPyapon市とDedaye市の間に家を失い、洪水で食料が流されていて支援物資を待つ人達に配ることにしました。

そのため、Payponから戻り Paypon市とDedaye市の領域にある地域に物資の援助活動を5箇所ぐらいに配りました。

物資配布の活動が終わったらヤンゴンへ戻り夜21:00時にヤンゴンを到着した。今回の活動にこれから真剣に考えて行かないと行けない話題が幾つか浮かんで来ました。

 

今回配布した物資::現金、 米、豆の油、干し魚、シート、お菓子、古着、蝋燭、や石鹸などです。

 

今回配布した地域 と場所名は :Dedaye市とPyapone市の領域内にある Danyintkone村、Kyaithyn村、

Thekone村 、Konepaline村、Tamawgyi村 Onepan村 Lamutaman村、Thekonegyi村、Amyar 村から村民達です。

 

支援対象になった人数 :: 約600名

 

今回の聞き取り調査で判ったこと ::

殆どの池や井戸などが塩水が入ったため飲めないので飲み水としては雨水を利用している。

種の米が残らないので農業が始まれない。

今後食べていなく食料とお金がないため心配。 

家畜もなくなったので将来は不安。

牛と水牛なども失った。

全村が消えたので何にして食べたら良いか判りません。

取り合えず小さい家でも一軒作り生活の定着を図りたいなど 多くの要望がありました。

ある人は食べ物を取得のため僧院から来た人と村から1時間2時間歩いて来た人達もいました。

 

今後の課題:: 被災者達に支援をする時に支援の方法も大切ではないかと考えています。

一番大切なのは 彼らの元の生活に戻れるように支援することではないかと考えています

元の生活に復帰して、それから発展を考えていくことです。

被災者の中に支援を受けて元の生活よりも大きな家が出来た場生活の維持にストレスが溜まったり、支援で自分らとなれていない食生活を送り、支援がない時には困ってしまうなど、彼らの生活パッタンに大きな相違がないよう被災者達との適切な支援や必要としているものへの支援が重要ではないかと考えております。

今後、長期的な支援が出来れば支援のありかたに関して下記のこと考えています。

 

支援の村を絞る 

:::支援が必要としている村々を絞る。その村に必要としているものを考える:: 現在は家が再建出来ていない家族もありその家族に対し雨季が入る前に住めるような家を作ってあげることも必要と考えています。

彼らが住める家は日本円で2万円で一軒出来るようです。

そのような人達に皆様の援助で家を作ったり、その後米の種を調達してくれたりなどの援助を続ければ価値のある支援になることと存じます。

ですが竹製の家一軒が2万に作れるにしても隊員がが現地まで入ったり調査をしたり、段取りなどで家一軒の支援に4万円ぐらい必要と考えています。

また、日本の中古農機などをミャンマーへ持ってこられないかとも考えています。農業の回復には機械が必要と考えています。

数万の被災家族の中に一家族への支援は小さい規模と思われますが皆様一人ひとりの志しで多くの家族を助けられることとと精神的な支えが出来ることと思っております。

では未熟な私ですが大変な時に被災者達のために出来ることをなんとかして行きたいと思っております。 ミンガラーの風も共同で支援を行います。お力をお貸しください。


シートを配布
寄進者に本当に有難うと言う
食料確保で一安心