ミャンマーからの便り〜その3


心と心を繋ぐ架け橋活動(The Bridge between the Hearts)}報告書

                   6月6日〜6月9日  



                  


心と心を繋ぐ架け橋の活動に対し色々な御指導や応援を頂き大変感謝しております

心よりお礼を申し上げます.


今回の第3回目の活動の報告をしたく思います。

今回も寄進者皆様の気持ちを尊重し、物資を本当に必要としているところまで行くことを決めていました。

今まで陸での活動が多かったのですが今回は小船で行く村まで支援物資をお届けすることにしました。

ですが小船で行くところであれば泳げないメンバー達をどうしたら良いかなどの課題も浮かんで来ました。注:理由は分かりませんがたいていのミャンマー人はおよげません

Life Jacketを購入していこうとも思っていましたが一着が20US$ということで人数分を会社から負担することも出来ない時にということで Life Jacket なしで安全な船を見つけて行く事にしました。


今回も支援物資としては 米、油、長持ちの干し魚、蝋燭、防水布(シート)、石鹸、お菓子、糸、古着,現金などでした。
物資の調達を6日の日に行い、07.06.08 に活動をしました。今回も皆さんにボランティア精神を判って貰い甚大な被害を受けた人達に手を差伸べる重要な意味を皆で確認しました。
08年6月7日の日早朝06;00に集合し、車に物資を載せて被災地に向かいました。今回は前回の経験を生かし早めに行ける手段を取りましたので Dedaye市に 11時ぐらいに着きました。

Dedaye 市に着いたら現地へ向かう前に僧院の食堂をお借りし昼食の弁当を食べることにしました。

Dedaye市には前回来た時に聞いていた支援物資が届いていない村々の最新状況を確認し、 最終的には小船で一時間掛かる ASELAY という村に行く事にしていました。また、雨も降っていて風もあるため物資配布も陸と海路で行く村と2箇所に分けて行い、泳げない人達が陸での活動隊に参加 して貰うことをしました。

にしても海路への活動隊に泳げない女性達も希望したので海路隊には7人の女性が参加してくれました。

活動隊員の皆は物資を船に乗せる時も労働者を雇わず自らで物資を運んで船に乗せました。

今回は活動は2箇所分かれたのですが弊社にデジタルカメラが2台壊れたためカメラが1台しか持たず一箇所だけに記録の撮影が出来ました。

皆さんには申し訳ございません。

また、泳げない女性ボランティ隊員もいるために責任が重く、安全第一ということで人が乗る船と物資を載せる小船2隻でASELAY 村に向かいました。
 この村はサイクロンの時に高波が12Feet 上がり死者175人いました。村へ到着したら物資を船に残し、村を視察とサイクロンの時に大きな被害を受けた村民らを調査することにしました。

だんだん村へ入ると 高波や暴風で水に流されたたくさんの家をみました。

ほとんどの家が被害を受けていて、屋根が飛んだ、全壊した、水に流された 多くの家を目撃しました。

ある家は土台しか残らなく、土台もすべてが2メーターぐらい離れているところに流された、などの光景をみてサイクロン当日の日を想像出来ない程でした。

全壊した家は未だ再建出来ず小さいテントを建てて生活していました。また、洪水で村の環境も汚染されていて、早く環境つくりに取り込まないと伝染病になる恐れもあるではないかと思っていました。
それから村人々から色々物たかりを聞きました。



1.村の南の方では4軒立ち並んでいたところに全てが水に流され,すべての家    も 全壊して流され土台した残らない、またその家の人々も彼も帰ってこなく全員が行方不目になったという


2.ある角にある一軒の家に7人家族の内 6人が死亡したという。彼らは水が2メーターぐらい高くなった時点に小船で高いところにある僧院へ逃げようとしたようです。

その時に隣の家の人も一緒に行きたいということで小船に乗せた時に小船が転覆し 6人が高波で流され6名がいなくなった。


3.親がいなくなったので村にある僧院長がお坊さんにさせていた5歳ぐらいのお坊さんとあった。

彼に名前は何ですかと聞くと人間の名前を答えてくれました。

お坊さんの名前はと聞いたら、未だないですと回答した。彼の将来はどうなるかと考えたくないこともあった。



4.ある人は 家族で大きな木を捕まったようです。

子供二人を彼の左右の腕を掴んで貰い彼が木の枝を掴んで水に流されないようしていたようです。

奥さんも隣に子供一人を持って木の枝を掴んでいたようです。

突然奥さんが水に流され彼が助けたくても彼の左右の腕の子供達も流されるため何にも出来なかった、 奥さんは目の前で流されそれ以来現れてこなかったという。


 

他にもこの村にたくさんの物語りがありましたが上記の心に残った悲しい例を書きました。私達と出会ったのが200軒があり950人が住む村で67人ぐらいの被害者でしたが今回のサイクロンに10万人の物語りがあることが実感し涙が流れます。
 

村中に調査後は物資を配ることにし、死者が出た家や損傷が激しく再建出来ない家族を優先的に物資を渡すことにしました。
皆を船着場の近くに来てもらい私達と出会った被災者や村長から頂いた死者の名簿からの被災者に優先的に物資を渡しました。
渡す前には日本から寄進者達からの使命で私達は物資を配りに着ました。

物資は少ないのですが少しでも役に立ってばと説明をしたら、(被災者達は皆様は寄進者の皆様も物資を持ってきた皆さんにも感謝しています、皆も幸運と健勝を祈念しますと祈ってくれます)。


今回の物資は300人分ですが被害が多かった家族に全種類の品を渡し、その後はシートが必要な人にシート、石鹸や蝋燭の必要な人には蝋燭などを寄進しました。また、被害が多かった家などに家まで物資を届けることもしていました。

そのために私の方では船着場の近くに物資を全員へ配った後に写真を取れなく家一軒一軒に配った写真しか取れませんでした。

その後4時ぐらいにDadeye市へ戻り 5時頃ヤンゴンに戻りました。

ヤンゴン帰りに陸での活動隊に物資も少し余っていたので道沿いにある被害が多かった村に入り、物資を配って支援をしていました。

それからヤンゴンへ戻り夜 9時ぐらいにヤンゴンを着きました。皆さんも色々な課題を頭に抱えてからの帰り道になったのです。
 
今回の感想 ’;;;; 
 今回は特定の村を絞って入り、村の中の被害状況を確認してから、被災に逢った人たちを優先的に物資を届けれましたので効果がある活動と思っています。

また、被災者達に寄進をして下さった日本の方々にの名前も紹介出来、受け取る側と寄進した方々の間に架け橋になれたことと感じました。

また特定の人々や村の要望も聞こえたので今後も活動にも役に立つことと思っています。
 しかし、今回の活動には失敗もありました。

船2台をチャーターしてしまったことです。

安全の面からは必要とも思いますが泳げる人達に絞った活動した方が被災者に少しでも物資が届けることと感じました。

にしてもボランティで物資配布活動に参加したいと申し入れている隊員に断ることも頭に悩みますまた、陸での活動隊に現金を持っていたので陸の活動には現金が必要とされていないようで現金を渡せなく次回の活動にすることになっています。
 
今回対象者 ’’’ 今回はおよそ 600人ぐらいに物資を渡せました。

300人分の米、油、シート、蝋燭、石鹸、ですが 全種類の品を渡す人と必要な品だけ渡した人などもいましたので合計600人ぐらいに物資をお届けすることが出来ました。
 
今 回村民からの要望  =  テントの生活から脱げ出すために家の一軒を作りたい。(要注意’ 前回は道沿いに聞きましたが船で行くこの村では運送費も高いため家を作るお金も高くなる ようです。) , 村の学校が崩壊したので新しい学校を作りたい。(学校の建設費は100万円ぐらい) この村の村民の主な仕事は 農業と漁師らが多く仕事に復帰するために 牛か農機が必要です。
漁師達にも漁の道具などが必要で また、重要なのは村民達が頼っている池に塩水が入ったことから死体が入ってしまったので塩水全てを引き出して、新しい水に変えないと行けないようです。

未だ池の水を精製していないのため雨水を頼っているの雨が降らないときれいな水が確保出来るかどうかを心配しているようです。

医療を受けたいという要望もありました。
今後は生活用の服や布団なども欲しいとのことです。
 
 
今後の重要な課題  ’’ 食料の確保が引き続いて支援と同時に医療を受けていない人たちのために医療チームを連れて行ってくれることです。

皆がこれから元気で復興に頑張るために元気つくりも大切と考えています。

それから村民らの家つくり、学校作る、環境作りなどです。

ですが民間の私達のレベルで出来ることは皆に物資を配布し、心の支え出る負応援をすることではないかと思います。

近い将来家作り、学校作りにも貢献出来ればと願っています。

ミンガラーの風も共同で取組んで参りますのでご支援をお願い申し上げます。
 
感謝  '’’’  今回の物資のために御協力して下さった日本の皆様にも心より感謝を申し上げます。皆様のお掛けで被災者達への心の支えが出来たと確信しております。


今回の義捐金を下さった方々は

1. ボランティア団体 ミンガラーの風 様  2.羅 和益様3.飯森様御家族 4.上村 なつみ様御家族  5.アブク様 6.オザキ様  6.イゾカ様 です。
 
お詫び ’’;; 今回はデジタルカメラが一台しかなく活動全ての光景を取れなく申し訳なく思っています。

また、ビデオーの撮影もして欲しいという日本方々の御要望もありましたがこれからビデオーカメラを購入し、記録に残して行きたいと思っております。
今回は申し訳ございませんでした。

また、安全を考え、小船2隻のチャーターでの活動で3千円ぐらいが余分に使いましたので寄進者にお詫びしたく存じます。

 



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